清原和博
清原和博は、PL学園高校野球部で1年生から超高校級スラッガーとして4番に座りました。清原和博は、エース桑田真澄とともに1年生の夏の甲子園大会から5季連続出場し、1年生の夏に優勝、2年生の春と夏は準優勝、3年生の春はベスト4、3年生の夏に優勝している。
1985年のドラフト会議、王貞治のファンだった清原和博は巨人入りを熱望していました。
しかし巨人は大学進学を表明していた親友の桑田真澄を指名しました。清原和博は、交渉権を獲得した西武ライオンズに入団することになった。
清原和博は、新人の年に打率.304 本塁打31本という活躍を見せ、パリーグの新人王を獲得しました。
清原和博と秋山幸二のAK砲は、西武打線の脅威といわれるほどで、西武ライオンズの8度のリーグ優勝、6度の日本一に貢献しました。
1996年にFA宣言して、憧れの巨人か地元の阪神かで迷いましたが、長嶋茂雄監督の「僕の胸に飛び込んでこい」の一言で巨人入りを決断しました。
巨人に移籍したものの、人気球団ゆえに低い打率を理由にファンに応援をボイコットされたりもしました。肉離れなどの故障にも悩まされ、1年間を通して働くことができなくなりました。働きたいのに働けない・・・清原和博は自分自身相当悔しかったでしょうね。
期待に応えるだけの成績を残せず巨人を退団、故仰木彬氏に声をかけていただき、関西球団のオリックスへ移籍しました。
しかし、膝を悪くして、度重なる手術を行いましたが、以前のように活躍することはできず、2008年10月1日のソフトバンクとの試合で、マリナーズのイチロー選手、阪神の金本選手、歌手の長渕剛さんなどに見送られて選手生活を終えました。
桑田真澄、清原和博という素晴らしい野球人がプロ野球界から去って、心にポッカリと穴が空いた。それだけ華のある選手だった。もう彼らのプレーを見られないと思うと、本当に寂しい限りだ。そう思っているのは、私だけではないだろう。 |
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